パンドラの箱

一人超ムーの世界(社会派)

カゴメ唄に隠された暗号とは~メシア誕生~

日本人でカゴメを知らない人はいない位
代々歌い継がれている有名な歌ですが、
あらためて歌詞を見てみるとなんとも不思議な歌
ですよね。

かごめかごめ籠の中の鳥よ
いついつ出やる
夜明けの晩に鶴と亀がすべった
後ろの正面だあれ

ちょっと怖い感じもしますが、実は都市伝説系ではとても有名な歌で、極論を言うとメシア誕生を意味していると言われています。

かごめかごめの籠というのは竹で編むので、その中のいる龍が(籠という字の竹かんむりを取ると龍という字になる)メシアのことであり、陰陽の和合によって時が来たら世の中に出てくる、ということを意味しているそうです。

ちなみに竹というのは皇室のことを表すそうですね。竹取物語竹内文書
確かに竹にまつわる古い書物は多い気がします。

ちなみに問題はじゃあメシアはいつ誕生して、いったい誰なんだってことなんですけど…

籠と言えば京都の丹後に籠神社があります。
元伊勢と言われ、とても歴史のある神社です。
そこにある昔の絵馬を見ると、六芒星と男女の神様が書かれているそうです。その名前が天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)と市杵島姫(セオリツヒメ)

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この二人は縄文時代の隠された神様と言われております。

2016年に公開された大ヒット映画の「君の名は」
は、この二人の神様のことを描いているのでは無いかとも囁かれており、また同じく歴代興行収入ランキングで1位の「千と千尋の神隠し」でもハクという主人公の男の子の本当の名前はニギハヤヒコハクヌシです。

「君の名は」でも二人が名前を思い出せないシーンがありますが、同じく「千と千尋の神隠し」でもハクは自分の名前を思い出すことが物語の重要なファクターとなっていました。

名前が思い出せない…
つまりは隠されていた縄文の神様のこと?

ここでもうひとつ気になるのが六芒星の存在です。
六芒星と言えばダビデすなわちユダヤの印。
ユダヤの男女の和合といえば、こちらも大ヒットした映画「ダヴィンチコード」に描かれていた、キリストとマグダラのマリアの性愛。

キリストとマグダラのマリアもまた、不運な運命をたどり、キリストは磔にマグダラのマリアは娼婦という位置付けでしか歴史に残されませんでした。
ダヴィンチコード」ではキリストの子孫に焦点が当たってましたが、本当に大事なのは、キリストとマグダラのマリアの生み出すパワーのことだったのではないでしょうか。

つまりは、
メシアというのは、
鶴と亀が統べるとは、
陰陽の統合とは、

誰か一個人を指すのではなく、
真の男女のパートナーシップによって生まれる力のことではないかと思います。
ここで大事なのは真のパートナーであるということです。今現時点で本当のパートナーに出会えてる人はまだ少ないと思います。
しかし本当のパートナーに出会うと凄いことが起きるそうです。

しかしながら、その力が強すぎるため、その時の権力者によって潰されてしまった歴史があり、その当時では世に出るにはまだ早すぎたのかもしれません。

しかし「君の名は」の様な映画が公開され、大ヒットしたということもあって、もう時は来たんじゃないでしょうか。真のパートナーシップが表に出る時が!

ここからは私の体験になりますが、
私も籠神社に行ったことがあります。
その日なぜか気になった字があります。

それが

「沓」

という字です。

京都駅から車で行ったのですが、その途中で通った沓掛インターにしろ、籠神社参拝後にケーブルで昇った笠松公園から見える、沓島にしろ…

でもこの字見てお分かりの様に、
水と日で構成されており、
つまりは、

水=セオリツヒメ(女)
日=火=ニギハヤヒ(男)

を表しています。

その笠松公園から見える沓島には国之常立神
(天地創造の神)がおられるとのことですので、
男女の和合によってそれはそれはパワーの強い宇宙エネルギーの根源神と繋がれる様になるわけです。

国之常立神とは大予言者出口王仁三郎を排出した大本教でいうところの艮の金神であり、沓島は大本教の奥宮でもあります。

艮の金神とは、陰陽道で言うところの鬼門の方角におられる絶対におろそかにしてはいけない最強の祟り神であると言われております。

しかし本当に祟り神なんているのでしょうか。
パワーが強いが為に祟り神だとみなに恐れられ、封印されただけなのでは無いでしょうか。
もしくは闇雲に外に出てしまうより、時が来るまで大切に守られていたという解釈もできます。

これは今ある当たり前に思える様な価値観を見直す時が来ているという意味でもあります。

カゴメ唄の最後にもあるように
「後ろの正面だあれ」とは、前も後ろも自分で、
今まで前だと思っていたことは後ろかもしれないし、後ろと思っていたことは前かもしれない。

今まで正しいと思っていたことは間違いかもしれないし、ダメと思っていたことは良いことなのかもしれない…
そんな大きくどっちかに振れていた振り子が段々その振り幅を小さくして中心に帰るように、自分が今まで頑なに持ち続けていた、誰かに植え付けられた信念などを手放し本当の自分に帰っていく…

そんな意味が込められているように思います。
ちなみにその国之常立神ですが、亀岡の大本教のすぐ近くにある出雲大神宮の御影山に祭られおります。宇宙の源の神と言われていますので、ぜひ参拝してパワーを授かってみてはいかがでしょうか。

以上、私なりのカゴメ唄の考察でした。